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  • 2011年09月発行

    三笠産業メールマガジン Vol.32 後編 第26回北海道三笠会/第28回東京三笠会開催 他

    第七回三笠ローカルレポート 春日部工場編

    春日部市の歴史と今

     春日部工場は、昭和37年に春日部市緑町(現在の部品センター)へ進出し、昭和60年に春日部市豊野工業団地(現在の所在地)へ移転し現在に至っております。進出して以来、長年操業をして来た地元の春日部市について、ご紹介したいと思います。


      まず、春日部市の名勝地と言えば隔年で薪能の開かれる春日部八幡社が有りますが、その他にも粕壁地区には浜川戸遺跡、内牧地区には内牧古墳群等の史跡があります。

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     また、牛島には弘法大師の御手植えの伝承が有る、樹齢1200年とも言われる天然記念物の『牛島の藤』が毎年4月末から5月には見事な花を咲かせています。

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     またその頃、庄和地区の大凧祭りでは畳100畳分の大凧が上げられます。その他にも同じ庄和地区に首都圏外郭放水路が完成し荘厳な地下の神殿と表現される放水路を見学できます。

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    (見学受付:℡048-747-0281  受付時間: 9:00~16:00)


     そして、春日部の特産品としては、桐箪笥をはじめ、麦藁帽子、押絵羽子板などが有りますが、意外な物で春日部の名前を世界レベルまで押し上げているのは何とアニメの『クレヨンしんちゃん』です。 作者の故臼井義人さんは春日部市の出身で作品の中に春日部の地名がよく出てきます。このアニメは世界中のテレビでその国の言語に翻訳され吹き替えで放映されています。結果的に、子供たちはKasukabeという言葉をよく知っているというわけです。

    春日部市では、『しんちゃん』の野原一家を名誉市民として、住民登録をし一時は春日部市のイメージキャラクターとして使っていました。

     さて、意外と史跡の多い春日部の名前の由来は、定かでは有りませんが、鎌倉時代の有力御家人三浦氏に組した春日部氏は、平安貴族の紀氏を遠祖とする豪族が関東に下向して土着したと伝えられており、春日部に移住した為その土地の名を苗字にして春日部氏と名乗ったと思われます。結局は宝治合戦(1247年)に敗れて滅亡してしまいます。

     この説が正しければ、春日部氏移住以前に既に春日部と称する地名が存在したことになります。

     その後、史実では鎌倉時代末期に新田義貞に仕え鎌倉幕府攻めで手柄を立てた春日部重行が登場します。重行は春日部郷の地頭職を安堵されて現在の東武野田線八木崎駅近辺に居城を築き、今に続く春日部八幡神社を創建しました。この系統の春日部氏は戦国時代末まで続きますが、岩槻の太田氏の配下として小田原北条氏に従った為、豊臣秀吉の北条攻めの際に春日部から越後上杉氏の下に逃れて、さらに上杉氏の転封に伴い会津若松に移住し、現在もその地に春日部性を名乗る子孫が健在で有るとの伝聞も有ります。

     その後、江戸時代には日光街道の宿場町として栄えました。 また、日光東照宮の建設に携わった宮大工の一部が春日部に良質の桐の木がたくさん自生しているのを見て住居を構え、これを材料に箪笥を作りだしたのが春日部の桐箪笥の始まりといわれています。昭和19年には、粕壁町と内牧村が合併して春日部町となり昭和29年に近隣の豊春、武里、幸松、豊野の4か村と合併し春日部市となりました。


    春日部の東口にある、春日部市の商業観光課が運営する『プラット春日部』(春日部市粕壁一丁目3-4:春日部駅東口下車徒歩3分)にて特産品の展示や観光案内などの情報提供をしています。また、春日部の歴史資料については『春日部市郷土資料館』(春日部市粕壁東3-2-15)で展示しています。休日などに、春日部を訪れて歴史探索を楽しんでみては如何でしょう。

    (一部『月刊あいつくし』参照)

    編集室より

    ようやく朝晩涼しくなってきましたが、日中の暑さを冷たいビールを飲んで
    忘れようとまだまだビアガーデンが繁盛しているそうです。汗をかきながら
    飲むビールより、涼しい風に吹かれながら飲むビールもいいかもしれませんね。
    ビアガーデン・・・どこにあるかな・・・検索だ!


    【 編集者 Mr.K 】